コスモス咲く川沿い。
花は傷ついているけれども、痛みを知って凛としている、それもまたいい。
傷ついた花に寄り添って、ひどく傷ついた心を癒すには、自分自身を信じることだと、マーベリックがぽつりと言った。
その時私は、ここに来る前の自分を思い出していた。毎日、線路の向こうに登る朝日を見て会社に行き、高層ビルの合間に落ちる夕日を眺め、自分の顔と車内が映る終電間際の電車で帰宅していた日々のこと。
働いて、消費した。
日々、働いて、消費した。
それはまるで、たくさん育てた花を、片っ端から散らしていくようだった。
わたしが社会に出る頃、高度成長期は過去の光のさざめき。都心にはその残像だけが写っていた。バブルも崩壊した不安定な社会を生きていくために、なにかこう、確かなものといえば、学歴や、お金だと…、それらは、自分を強くし、幸せにするものだと信じ、信じ込まされた海の中へ、全速力で乗り出した。
でも、それらを信じれば信じるほど、労働と消費のループは加速し、いつしか、自分が何者なのか、さっぱりわからなくなっていった。それがなおさら、わたしを、その場で消えていく楽しさにすがりつかせ、次の競走へと駆り立てた。価値観の一辺倒が、自分の心をどんどん痩せさせてく。そんな日々は、繰り返す波のようだった。決して陸にはたどり着けない。
幸せとはなんだろうか。
立ち止まらないと見えなくなっていた、その問い。
探した。探した。探した。だけどそれは、どこを探してもない。
自分の足元に目を落とせば、お金があれば…いい学校を出れば…いい会社に入れば…そんなささやきが、凍った鉄の鎖のように自分の周りにまとわりついているのが浮かび上がった。
知らない大多数の誰かによって作られた”幸せ”を信じても、それは、自分のものではなかったのだ。
幸せとは、自分自身が決めなくてはいけないものなんだ。
今、わたしはここで、日々を大切に生きている。
ひとりひとりの気持ちに寄り添い、
ひとつひとつのことを大切に育む。
そんなことをしても、生活は楽にはならないし、苦しいこともたくさんある。
それでも。
遠く離れた母へ。
人が何を言おうと、一緒に幸せを信じよう。
たとえ何を言われても、自分が幸せと思えれば、それでいいんだもの。
わたしは自分が、親も妹にも、何もできないでいることがひどくふがいないけれど、でも、
今はせめてこの気持ち伝われと、はかなく思いを繋いでいる。