今日も朝から、いいお天気。
サマーウィングという品種のバラが、ちょうど満開をむかえています。
朝の光を受けて、静かな炎のようなたたずまいを見て、潔い強さと決意を感じた。
たとえば、今日、この公園に来る前の車の中で、道を歩くおばあさんの背中を優しく支えて歩く子供の手を見たとき。
たとえば、散歩中に、木陰で座るマーベリックの背中をなでているとき。
どうしようもなく、心が揺さぶられ、この世界が愛おしいものに思える瞬間がある。
なにを振り返るでもなく、
ただ、世界が愛おしいからという理由で、
翼を広げ、
後でも先でもないなにかを、一心に慈しみたいとねがうことはできるのだろうか。
ふと見ると、目の前に咲いたサマーウィングのバラの木は、
願いさえ忘れたかのように、ひっそりとたたずんで、優しく翼を広げていた。
なにのぞむなくねごうなく、といったのは宮沢賢治だった。
そして、ふと見ると、”そんなことはわかったから、早くいきましょう”とせかすマーベリックの背中が、たまらなく愛おしく、尊く見える。
なにのぞむなくねごうなく
愛おしい気持ちは翼を広げる。