お散歩中、お散歩バックに、すごいお友達が止まった。
彼女は、その後、アジサイの葉っぱの上に移動。
マーベリックも見守ります。
珍しいお友達は、ルリボシカミキリ。
この色は、まさに奇跡。なんてきれいなブルーなんだろう。
西日本では局地的にしか生息していないらしい。北の方では普通にいるのだろうか。
グリーンに近いブルーだけど、彼女のまとうものに、なんていう色の名前が1番ふさわしいのか、わからない。
ただ、和名はルリボシカミキリといい、この色が出るのはメスで、死ぬと赤褐色になってしまうので、生きている間にしか、この色を見ることはできないという。
まだまだ知らないことがたくさんある。
地球が凝縮されたみたいなこと色の持ち主を、しばらくの間、見つめていた。
地球ってすごいな。空気や水や土、物質やシステムがすごいだけじゃない、色さえも、美しくて優しくて、私の想像をはるかに凌駕してくる。
全く想像だにしないような他の生き物たちと一緒に生きている。出会いはいつも、自分の今現在の枠組みを更新してくれるけれど、知らないことは想像できないという、この窮屈で切迫した哀しさと滑稽さ。
ぽけっと、円の中心を見る。そこには、退屈がいやで、ついつい”すること”で埋めて、勝手に息を詰まらせている自分がいる。
“勝手に作った枠なんて外して、なにもしていない時間だと思いこんでいる時間の濃密さを楽しんでみようよ“
それが、今日出会った、ルリボシカミキリからの提案だった。
書を捨てよ、町に出ようと言ったのは、寺山修司だったか。寺山修司の投げたトレンチコート。その背後の青空と、ルリボシカミキリの青が重なる。だが、今やことは、単純に書を捨てて町に出ていくよりもっと複雑だ。
通常私が、何かしていると思っていることが、実はなにもしていなくて、それとは逆に、なにもしていないと思っていることが実は、何かが詰まっているものだったりする。
なにもしないことをする、そんな遊び。遊び方は…、そうだ、遊び方は、とりあえず、マベに学ぼう(笑)
今日からおまべは先生だ。