今日は薄曇りのまべ地方。
お散歩日和の土曜日です。
くんくん、あなたはだれですか
みどりちゃんときいろちゃん
しばらく、草木とたわむれたあと、てくてく進めば、カエデの種子と出会った。
タケコプターみたいに、今にも飛んで行きそう。
もう少しで飛んでくよ
もし、空が飛べたら、まべはどこに行きたがるかな。
さらに坂を下って、てくてくてくてく。
池の中には、睡蓮が咲いていた。
睡蓮といえば、モネ。
こちらは、マベ?
花には目もくれず、すたすた歩いていく。
ねえねえマーベリック、上に、なにやら珍しい花が咲いているよ。
フェイジョア、という名前の花だそうです。
ちょうど少し前、フェイジョアという名前と共に、写真で見せてもらったことがあったのに、
いざ、本物と出会ったら、ちっともピンとこず、なんの花だろうかと、考えながら帰ってきた。
名前がわかると、とたんに、親しみが湧いてくるから不思議である。
今度行ったら、挨拶しようね、マーベリック。
“こんにちは、フェイジョアさん。また会いましたね”
世界はまだまだ、知らないことばかりとは思っていたけれど、
知っているのに、気づいてないこともある。
ふと、ひとつのフレーズが蘇る。
“知ることと、考えることとは違う”……
遠い記憶が揺さぶられる。
それは、有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」の一節だっただろうか。
有島武郎の作品で語られる思想もその文体も、10代の私には、もぎとられたすっぱい果実のように、爽やかに表面を流れた。
「愛は惜しみなく奪う」から、「小さき者へ」「生まれ出づる悩み」と、吸い込まれるように手に取った。
おもしろい、と思ったことを、今振り返れば、表面のみずみずしい酸っぱさに気を取られて、中身の渋味にまで、到達できないでいるままだ。
また今読めば、全然違う世界が見えてくるだろう。
本も、木も、花も、
ひどくよそよそしい顔で私を取り囲む。
本も、木も、花も、そこにあるけれど、向こうから話しかけてきてはくれない。
幾重にも幾重にも重なり、積まれていくのは
よそよそしい、見知らぬ世界
世界も、自分も、混沌とし、知っていても気づいていないこと、そもそも知らないことが入り乱れ、
何かの端緒を掴んだ先から、知らないことが、膨大に、はてしもなく続いていく淵を覗かされる。
でも、すべてのパーツは、そこにある。
確実に、存在している。
淵をのぞき込む私は、自分に言い聞かせる。
”この森を旅する者は、混沌を恐れてはいけない”
知っていることと知らないこと、知っているけど気づけないこと…
宙に浮かんだパーツパーツが、
ハタハタ ハタハタ ハタメイテ
いつか出会う時のために、旅はつづく。
こんにちは。
こんにちは。