イタリアでの動画が話題になっている
家にこもる人が、ベランダで、思い思いの楽器を持ち出して、音楽を奏でる。そのうち、どこかから、美しいオペラの一節を歌う歌声が…
旋律も美しいが、なにより人の声が、やさしく、みずみずしく、乾いた街に、心に、しみこんでいく。
その声を聞いていたら、ふいに、涙がこぼれそうになった。大変な状況になっているイタリア。孤立や恐怖の中で、自己と隣人の魂を救済するかのようなその歌声は、心底美しかった。イタリアの現在の状況をみれば、今、励ますのはむしろこちらの方であるべきはずなのに…この国の人たちの魂との向き合い方に、こちらが救われてしまった。
日本でも、古今和歌集の仮名序で、紀貫之がこのようなことを言っている。
歌は人の心を種として、無数の言葉となる。
鳥も蛙も、およそこの世で生きとし生けるものみな、歌を歌わないものはない。
歌には、天地を揺さぶり、鬼の心をも癒す力がある。
和歌はもともと、読むものではなく、歌われていたものだという。
イタリアで、街にしみこむ美しい歌声は、国境を超えて、私たち共通の何か…それは到底「グローバル」などという言葉では語りきることのできない、人間の本質を、まっすぐに示してくれていた。
理屈を超えて、同じ人類として、同じものをもっているという”同質感”。
ふと、横を見ると、マーベリックが寝ている。
動物を飼っていると、疑いようもなくわかることだけれど、私たちと同じように感情があり、強い絆でつながれる。貫之が1000年も前に言ったように、およそこの世で生きとし生けるものには”歌”、つまり心があると感じることができる。
そして種を越えて、たのしさや喜び、数々の感情の質感は伝わり合う。
家の中に、人間とは別の生き物がいて、一緒に感情を共有して生きられることが奇跡のようにうれしい。
ことばを話せないこの子たちには、楽しさも不安も、私たちの感情がダイレクトに伝わってしまうと思うから、この寝顔がいつも見られるように、いつも楽しくしていたいと思う。
あ、そうだと思い出し、私はいそいそと、袋を取り出す。昨日、知り合いの子供たちに、お菓子をもらったのだった。
開けてみると、しろくまのマカロンだった。
かわいい。
マーベリックは、知ってか知らぬか、にっこり顔で寝たまま。
家の中で、忙しいときには、あなたの声はかき消されてしまっているかもしれないけれど・・・
ことばがつうじないからこそ、丁寧に、愛情を示していってあげないといけないなって・・・
イタリアの歌声を聞いて、改めて思ったよ。
動物は歌と同じように私たちの希望。世界中の人が、手洗いで感染を予防して、家の中では歌と、そして一緒に住んでいる動物をかわいがってほしいなと思う。
昔、広瀬香美の歌に「勇気と愛が世界を救う」ってあったけれど、まさに今、愛と科学がみんなを救うよねって思う。それが”ロマンス”の神様かどうかはわからないけれど、神様お願い。みんなの愛が伝わるといい。