用水路に水が引かれ、この辺りも、息を吹き返したように、みずみずしくなった。
暑さを逃れて、カエルもひとやすみ。
のどかでうららかな風景の中、ふと、中学の時の先生がよく言って言葉を思い出した。
「平凡こそが、非凡であり、
平凡こそが、尊い。」
その時も、その後も、長い間、私はその言葉にちっとも納得がいかなかったけれど、
今、私が眼前に見ているこの景色こそが、
平凡の極みであり、
それがそのままうららかな天国と同期していることが、
降ってきたように静かに突然、感得されたりする。
なんでだろう。
言葉はいつもすぐには届かないのだけど、
誠意を持ってかけられた言葉は、心の奥底にしまわれていて、
長い年を経てから、ふと、語りかけてくることがある。
たとえば、こんなのどかな日に、
こんな景色を見ながら。
なにひとつ正解がないという過酷な戦場で、
当時子供だった自分に相対し、心を尽くして育んでくれた人たちがいた。
その温かさが立ち上がり、自分を包み、そして今新たに彼らとつながろうとする。
でもさ…と、私はマーベリックに話しかける
でも、あえて平凡であろうとするようなことがあれば、それはまた作り物の幸せになってしまうでしょ。
それが平凡であるのか非凡であるのかを決めるのは、今でもないし、私たちでもじゃないじゃない?
マーベリックは答える。
「・・・、結局、平凡さや非凡さの問題じゃないような気がするよ。
いつも風通しよく、いつも自由に、いつもみずみずしい気持ちでいることが大事。
生きるってことはさ、いつも、みずみずしい断面を、時間の最先端にさらし続けているってことだからさ。
たとえ、平凡だって、その断面が錆びついてたら、いつだってそれは作り物のように命を帯びないものになってしまう。
いつもどんなときでも、時間の最先端をみずみずしい断面を切りながら進んでるんだってことを感じられたら、どんな状況でも、そこはもう、ヘブンなのさ(笑)
それは、僕のふがふがいう呼吸のひとつにだって感じられることじゃない?」
そうだね、マーベリック。
それが人にとって平凡に映ろうが、非凡に映ろうが、そんなこととはおかまいなしに、
水は流れていく。
今日はもう少し歩こう。
みずみずしい用水路に沿って、マーベリックと一緒に。