ふるさとは遠くにありて思うもの
そしてかなしく歌うもの
東京オリンピックの年になり、テレビで、東京の今と昔が映し出されることが多くなった。
写真家の森山大道さんの「その路地を右へ」という番組もその一つ。そこに映し出されたのは、かつてと今の東京、新宿の高層ビル群のたもとにひっそりと広がる住宅地の路地裏。私が育った街だ。
映し出された路地裏は、今もひっそりと息づいていた。高層ビル群を上に臨み、ぽかんと空いた空間。入り組んだ細い道に面して、木造の住宅がひしめくように立っている。
一気に、当時の記憶が立ち上がる。
あの匂い、空気の質感。人々の話し声と生活の音。
そしてそのすべてが、誰しもが囚われる青年期特有の逃れられないそれにより、当時の私にとっても一刻も早く逃げ出したいものであった。そこには、なにか、「苦味」のようなものが存在し、それがいつも私をいたたまれないものにした。
私はいつも、街をさまよいながら、〝その先の海”を探していた。
あの坂をのぼれば、海がみえる。
少年は、朝から歩いていた。草いきれがむっとたちこめる山道である。
当時教科書に載っていた、杉みき子さんの小説の一節を、まさにその主人公と同じように、呪文のように唱えて歩いた。
あの坂をのぼれば
あの坂をのぼれば
草いきれ、とは何か。注釈には、「草が熱と湿気で蒸れたときに発する匂い」と書いてあったが、想像するしかなかった。新宿のぽっかりと空いた住宅地の上の空はいつも、建物の合間に、▢や〇の形に切り取られた部分でしかなかったから、草いきれも、一面の緑も、空が半球を描いていることも、山の形が、立体地図の形と同じように凸凹していることも、自分の感覚の中には切り離された別の世界の強烈なあこがれとして立ち上がっていた。
そして、草いきれをもとめ、人いきれのする街から離れ、歩いてきた今、あの坂をのぼれば、海は見えただろうか。
不思議なのだ。
私は海の向こうに、今度はあの街を思うのだ。
むっとする匂いと、人の交錯する風景。四角い空と、人情、その雑多なものすべてを思い、海の向こうを見つめている。
「その路地を右へ」の映像が、水平線とリンクする。一見、あのときのままだった路地裏にも、開発は進み、去年まで布団が干されていた軒先の家には、もう人の気配がない。その隣では、もう家が解体されて、平地になっている。
見知った故郷の風景は急速に実体を失っていく。
スクラップ&ビルドしかり。秩序は無秩序のために作られるしかり。
それは、まぎれもない、命の一側面であるはずだ。
しかしこのかなしみは、なんなのだろう。
ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しく うたふもの、と言ったのは、室生犀星だが、自分にはまだ、「ふるさと」の実感はない。ただ、自分にとっての新宿は、決して”匿名の街”ではなく、ひとつひとつに名前をもつ、いとおしくやさしい存在だ。
かつて空が半球で山が地平線をでこぼこにしていることを初めて知ったときのように、こうして水平線の向こうを眺め続けていたら、いつか自分にも「ふるさと」が形成されるのだろうか。
しかし、きっとその時のふるさとへの思いは、悲しいでも、哀しいでもないだろう。
”かなし”は昔、”いとおしい”という意味だったように
そして、創造と破壊が生命の営みと同義であるように
きっとその時の”かなしみ”は、いとおしさに等しくなる。
ゆったりと、あるがままを受け入れていくとき、そこには、初めて感じる、命を生きているという実感があった。
つれづれなる昼下がり。
まべまべと日を暮らす。